本と絵画とリベラルアーツ

本と絵画の解説

夜の上野動物園に行ってきた

 

上野動物園は通常9時半開演の17時閉園ですが、夏の特別期間(2019年は8/10〜8/16)だけ閉園時間を3時間延長し、

真夏の夜の動物園を開催しています。

 

夏の昼間は暑さに人間も動物もクタクタになりますが、夜は比較的涼しい環境で見学することができます。

 

前から気になっていたのですが、つい先日行ってきたので感想を書きました。

 

 

18:40上野駅到着。

閉園は20時までですが、入園は19時までだと気づき焦る。

 

時間ギリギリで入ると、すごい行列が。

何かと思ったらパンダの列だった。

 

さすがパンダ、おそるべし。

ただ、その日は色々見たかったのでとりあえずパンダはスルー。

 

19時になったあたりに園内放送でパンダの見学列を打ち切ったとのアナウンスがあった。

もし夜にパンダを見たい人は18時には行った方が安全。予定では19時打ち切りですが、列の長さによってはそれより早く打ち切る可能性もあるらしい。

 

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写真では明るく見えるが、実際は真っ暗だった。

何もいない動物の檻のオブジェは廃墟と化した遊園地のようで、どこか不気味。

昼間は気にならない作り物感が、夜になると強烈に感じられる。柵でこちらと分けられているのがより違う世界であることを意識させてくる。

 

ゴリラの森(?)は鬱蒼としていて、落ちたら二度と戻らないような気がした。

 

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ペンギンやフラミンゴもお疲れの様子であまり動かない。一瞬ペンギンと目があって可愛かった。

 

疲れたので両生爬虫類館で涼むことにした。考えることは同じなのか、やたらと混んでいる。

亀が前見た時より小さくなった気がする。

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キリンやらカバやらデカイやつらが見当たらないなあ、と思っていたら宿に帰っていた。

カバは糞尿を飛ばしてくることがあるらしいので注意。

キリンのいる場所が我々より高い位置なので、より迫力があるように感じられる。遠くから見るだけでは感じられない面白さがあった。

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暗くてよく見えないところも多かったけれど、昼間とは違った姿を見られるので面白かった。

暗闇の中から動物を探すのもゲーム感があって楽しい。

 

暗くて時間もいいのでデートにいいかもしれない。

 

日にちによってはイベントもやっているようなので、気になる人はホームページをチェック。

また早めに展示が終わってしまう動物もいるので、もし見たい動物がある人は確認してから行くのがいいでしょう。

 

ホームページはこちらから

https://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=event&inst=ueno&link_num=25728

 

 

苦悩するカリスマ的指導者『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』【映画の紹介】

オススメ度:☆☆☆

 

イギリスで一番有名な政治家といえばチャーチルではないだろうか。

世界史の教科書や資料集でも写真付きで登場し、ヤルタ会談ではローズベルト米大統領の横ででっぷりと座っているのが印象的である。

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最前左に座っているのがチャーチル首相


『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』は第二次世界大戦中首相に祭り上げられたチャーチルの人間としての面を描いた映画で、横柄で身勝手でありながら正義感と愛国心のはざまで苦悩する姿を描いている。

 

主演のゲイリー・オールドマンはハリーポッターやバッドマンにも出演している名優である。この映画でチャーチルを演じるにあたってメイクアップアーティストの辻一弘(当時は一度映画界から引退済)に直接オファーを出し、辻が担当しなければ自分はおりるとまで言い口説き落とした。

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2018年のアカデミー賞ではオールドマンが主演男優賞を、辻がメイクアップ&ヘアスタイリング賞をそれぞれ受賞した。

 

本作品は横暴でありながら迷い悩み、時に涙を流し苦悩するチャーチルの姿を描いたものであるため、史実に基づいた戦争映画を見たいという人にはやや不満が残るかもしれない。

 

 ウィンストン・チャーチルとは

ウィンストン・チャーチルはイギリスの政治家で、首相を2回務めている。

性格は身勝手で横暴、好戦的でしばしば人に威圧的な態度をとる。

 

ウィンストンは1874年オックスフォード近郊の宮殿で生まれた。

父は貴族でのちの大物政治家、母はアメリカ人の富豪という恵まれた環境のなかでウィンストンは育った。

 

学校の成績は全科目最下位と散々であり、素行の悪さも相まって鞭打ちの刑(英国上流階級独特のスパルタ教育の一環)に処されることもあった。

 

学問が振るわない一方で軍事訓練や戦争史しは興味をもち、騎兵科の士官候補生となった。騎兵将校になったチャーチルは戦争が起こりそうにないことを残念がり、自ら志願して他国の紛争に加わったりしていた。

 

将校除隊したチャーチルは保守党から立候補し当選、父と同じ政治家としてのキャリアをスタートした。

その後は自由党、再び保守党と鞘を変えながら第二次世界大戦中の1940年、挙国一致内閣において一度目の首相を務めた。

チャーチルはドイツ軍による空爆を受けた街を視察して回り、国民からの人気と支持を集めていった。この時見せていた勝利のVサインはチャーチルの代名詞となり、人気の一因ともなった。

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戦後労働党のアトリーに政権が一度移るが、1951年には再び保守党として首相を務めた。1955年に首相の人気を終えた後も議員を続け、その生涯のほとんどを政治家として過ごした。

 

脳卒中により左半身をマヒに侵されたチャーチルは1965年1月息を引き取った。

弔問には30万人が訪れ、葬儀には慣例を破りエリザベス2世女王も出席した。

 

 感想

最初は戦争の緊迫感が味わえる映画かと思ってみたのでやや物足りなさを感じた。

第二次世界大戦でイギリスが勝つことは分かっているのであまり違和感がないが、チャーチルが国民を戦争に駆り立てていくシーンでは勝つから官軍なのであって、これで負ければとんでも一級戦犯だと思った。

司令部の葛藤や作戦を楽しみに見るとがっかりするかもしれない。

 

戦争ものとしての物足りなさはあったが、"人"として面白いチャーチルのキャラクターに次第に引き込まれていった。

 

人から指示されることを嫌い、暴君のごと振る舞うチャーチルであったが内面では不安を感じ、常に何かを恐れ戦っていた。

 

そんな彼を支えていたのは結婚以来横暴な夫に耐え続けてきた妻と望郷の念であった。

 

チャーチルは故郷の尊さと美しさを知っていた。彼には情緒があった。

そのためにドーバー海峡を超えて大陸で戦うイギリス国民に故郷をもう一度見せてやりたいと切望したいた。

 

その手段として憎きナチスとの和平か一部の犠牲を伴う戦争かの岐路の立たされた時、チャーチルは戦争を選んだ。

国家の未来のために犠牲になる命に対して、チャーチルは責任を取ることを決めた。

 

指導者の資質として、カリスマほど強力なものはない(同時に独裁者最大の素質でもある)。

彼のカリスマが、国民に宿るナショナリズムの火をさらに大きなものにした。

 

 

そんな彼にも弱さがあり、不安に思うことがあり、恐れることがあった。

この性格における対極的な面が彼の人格にユーモアを与え、カリスマを生み出したのかもしれない。

 

 

サークルのガバナンスを考える

大小多寡に関係なく、人は何かしらの共同体に所属し、それぞれにおいてふさわしい役割を果たしている(あるいは強いられている)。

 

家族や親友など極めて小さい集団においてはいかにしてその共同体を統治していくかということを考えることは少ない。

ある程度の規模、ある程度の共同意識をもった集団においては集団のあり方、統治のあり方が問題になってくる。

 

その第一歩として代表的に挙げられるのがサークルであろう。

就活ではサークルでの統率経験がしばしば話題に挙げられ、学生もそれに応えようとする。

 

現代社会において、国家単位の統治には民主主義が最も理にかなった手段だとされている。

民主主義は全員参加が基本であるため、これに反する思想を持つものは時に社会から淘汰されそうになる。

 

教育もこれに準ずるように形作られているため、小・中学生の大半は民主主義を信奉するようになっている。

一定の条件を満たせば多数決は正義であり、民意によって決まった出来事をひっくり返すのは容易ではない。

学級裁判もこれと同質のものであり、民意は権威へといつしか姿を変えている。

 

 

民主主義は大多数の合意をとりつけるには理にかなっているが、いついかなる時も最適であるというわけではない。

 

小さい集団、サークルやグループ、といったレベルでは民主主義は必要ない。

合意の取り付けが容易であり、素早い意思決定が求めるられる状況において(条件付き)多数決はストッパーになってしまう。

 

このような集団の統治において、カリスマ的支配集団主義が組織を最適化させるのに有効な手段である。

 

カリスマ的支配

カリスマ的支配とは、社会学者マックス・ウェーバーが提唱した支配の三類型(カリスマ的支配、伝統的支配、合理的支配)のうちの一つである。

 

超自然的現象(呪術など)や特出した人格によって人々を治める。

古代においては卑弥呼、最近ではヒトラーなどがこれにあたるとされる。

 

群衆はなにも考えないことを望む。

自分の意見なしでも自分のためのルールが定められていくのを望む。

自分で決めることを快感に思うのと同じように、誰かに決められたいとも思っているのだ。

 

ある意味一時的な組織であるサークルに伝統的支配者が存在するのは難しい。

 それであればカリスマが小組織を率いていくのがもっとも効率的だろう。

 

集団主義

 集団主義とは個人主義と対極にある概念で、集団を第一に考える。集団第一主義ともいえる。

 

集団のことを第一に考えるということももう少し掘り下げると、主語はだれかという問いに行き当たる。

 

大哲学者ルソーは世の中には3種類の意志(特殊意志、全体意思、一般意思)が存在すると言った。

特殊意志とは自分のことを第一に考えた意志のことで、おなかが空いた、税金は安いほうがいい、つらい思いはしたくない、といった欲望や願望の表れである。全体意思はこれが集まったもので、いわゆる衆愚の意志である。

一方一般意思は全体のことを第一に考えた意志であり、弱者のために税金が上がるのは仕方がないだろう、全体のためにここは我慢しようなど、全体を優先するため一部の自己犠牲をはらむ可能性がある。

 

理想はみんなが一般意思を持って選択・行動することだが、実際にはありえない。人が寄ればたちまち衆愚へと変わってしまう。

みんながみんなのことを考えることなどできないのだ。

 

みんなが、みんなのことを考えることはできないが、誰かがみんなのことを考えることはできる。世の中には生まれながらの善人、利他心の塊みたいな人間が一定数存在する。

 

組織のためにもだれかがみんなのことを考えてやれねばならない。

 

以上をまとめると最も合理的なサークルの組織運営としてはカリスマ的支配者が、集団主義に立って行動することではないだろうか。

またどちらかの素質が欠けていたとしても、それを少数によって補完することで健全な組織運営の道が切り開かれる。

 

映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を子どもは絶対に見るな【映画の紹介】

オススメ度:☆☆☆

 

国民的RPGである「ドラゴンクエストシリーズ」。

 

伝説の血を引く勇者たちが、世界を支配しようと企む大魔王を倒す壮大な旅に出る大人気シリーズである。

一作目が1986年に発売されてから30年以上にわたり、本編はのべ11作が発表されている。

 

この度そんなドラクエのうち屈指の名作である「ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁」の映画化がなされた。

 

先日見てきて色んな意味で衝撃を受けたのでまとめた。

 

ドラクエⅤとは

「ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁」は1992年にスーパーファミコン用ソフトとして発売されたロールプレイングゲームである。

その後2004年にプレステ2版、2008年にDS版、そして2014年にスマートフォン版がそれぞれ発売されている。

 

ドラクエⅤの魅力は主人公の人生を追体験できることにある。

ストーリーは主人公の年齢によって「幼年時代」、「青年時代前半」、「青年時代後半」の三本立てになっている。

 

 

幼年時代:父・パパスとともに母を探す旅にでた主人公だったが、光の教団の幹部ゲマとの戦いに敗れ教団の奴隷にされてしまう。

青年時代前半:妙案によって教団を脱走した主人公は冒険を続ける。妻をめとり、子供も授かった主人公であったがその晩妻が連れ去られ、助けに向かった主人公も石化されてしまう。

青年時代後半:石化から8年後、子どもたちによって呪いを解かれた主人公は息子が伝説の勇者だということを知り、マスタードラゴンとともに教団の本部に乗り込む。そこで妻と再会し教祖を撃破する。その後魔界に行き母と再会し、魔王ミルドラースと対峙する。

 

 

特にドラクエⅤを名作たらしめているポイントは「青年時代前半」に訪れる結婚である。

 

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結婚相手は幼馴染で活発な性格のビアンカ、清楚で王の娘であるフローラからプレイヤーが自由に選ぶことができる。(DS版では派手で高飛車なデボラも選択肢に入る)

男心をくすぐる対照的な二人の女性をめぐる議論は過熱し、ドラクエ世代の間では定番の話題さえなっている。

 

 

蘇る少年時代

ドラクエからはしばらく離れていた私だったが、この映画を見てすぐに懐かしい思いが込み上げてきた。

 

私は小学校高学年のときにDS版がどんぴしゃで発売された世代である。

正直パパスを見た瞬間やばかった。最初に戦闘の音楽が流れた瞬間エモさが振り切れた。

ゲームがなによりも楽しかったあのころを思い出した。ビアンカにグリンガムのムチを持たせたくてゲーセンでひたすらコインを稼ぎまくっていたことを思い出した。キラーパンサーが後半使い物にならなくてパーティから外したことを思い出した。

 

ふと自分が映画の中で出てくるモンスターや呪文の名前をすべて覚えていることにびっくりした。 

ドラクエは9を最後にやるのをやめてしまった。ドラクエがつまらなくなったとかそういうことではなく、シンプルに自分がドラクエを卒業する年齢になってしまったのだろう。

それ以来とくに触れることもなく何年も経ってしまった。

 

それでも覚えているのだ。

小学校の頃まだ見難かったネットの攻略サイトを頼りに呪文を小さなメモに書きとめ暗記していったのを思い出した。

あのころはただ純粋にドラクエが好きだった。

 

映画を見ながら、そんな日々を追懐していた。

 

子どもは見るな

ストーリーだけでなく映像にも力が入っている。最初に背景の映像を見たときには本物かと勘違いするほどのクオリティであった。人間の造形もすばらしく、フローラはめちゃくちゃ可愛い。

 

その一方で魔物たちの迫力もゲームから数段あがっている。

特に物語のキーである光の教団の幹部ゲマの形相はすさまじく、小さな子供なら泣いてしまうのではないだろうか。いい意味で迫力があった。

 

 

またドラクエファンにはたまらないストーリーとなっている本作品だが、ラスボスを前にして衝撃的な展開をむかえる。

 

-----------------これよりネタバレ注意-----------------

 

ミルドラースの復活を阻止するために天空の剣を魔界に通じる渦巻きに伝説の勇者である主人公の息子が天空の剣を投げこむが、その直後主人公以外の時間が停止し、世界の解像度が下がりブロック状に崩壊していく。

困惑する主人公の前に現れたのはこのゲームに侵入したウイルスを名乗る謎のアンドロイドで、この世界がゲームであり、主人公はこのゲームのプレイヤーに過ぎないことを伝える。

アンドロイドはプレイヤーに「大人になれ」と語りかけ、ゲームはただの虚構でありナンセンスであると主張する。

動揺する主人公であったが、ゲームは第二の現実だと確信し、ゲームの監視役であったスライムからワクチンであるロトの剣を受け取りアンドロイドを撃破する。

 

 

ここまで一部ストーリーを改変しながらも王道を進んできた中で、この展開にはびっくりした人が多いと思う。

正直私もミルドラースとの最終決戦を楽しみにしていたので若干の裏切られた感は否めなかった。

 

作中にスーファミのソフトが出てきてこの世界はリメイクだというメタ的な発言が出たときには新しいリメイクの広告なのかと疑った。

 

最終的にゲームは虚構派のウイルスvs第二の現実派の主人公となり主人公が勝ったところを見ると、今まで懐かしい思いのなかで見てきた大人たちを肯定している内容にはなっている。

 

青春時代の一ページとしてドラクエに熱中し、その後ドラクエを懐かしい思い出に昇華させられている大人であればある程度納得のいく終わりにはなっている。

 

しかしこれがドラクエにはまっていったばかりの小学生・中学生が見たらどうだろうか。

自分の好きなドラクエの世界がただ単に破壊されただけのように映るだろう。

せっかくのかっこいい映画が最後で台無しになったと感じるかもしれない。

 

この映画は青春時代にドラクエを置いてきた大人たちのための映画なのだ。

これからまだまだドラクエやゲームを楽しみたい子どもたちにはとにかく後味が悪いだけの映画になってしまうので見るのは控えることをおすすめしておく。

 

 

www.artbook2020.com

 

 

一人ディズニーのススメ

みなさんディズニーは好きでしょうか。

 

人ごみが嫌だとか長い行列に並ぶのがめんどくさいという点を除けば、完全に嫌いという人は少ないと思います。

学生であれば数年に一回は行く機会があるでしょう。

 

私は年パスを買ってからディズニーにどっぷりはまり、去年は一年間で100回行きました。ディズニーの年間パスポートは13回通えばもとが取れるので、すでに7年分は元を取った計算になります。

 

ほとんどの人が想像するディズニーは、家族や友人、恋人同士で訪れているとこでしょう。

おそろいのファンカチューシャをつけて、長蛇の列の中で自撮りを楽しんでいるところをよく見かけます。

 

そんな和気藹々とした雰囲気のなかでも、少し関心を向けてみると一人で来ている人が意外にいることに気づきます。

その多くは一眼レフを抱えたDオタ(ディズニーオタクの略)ですが、中にはそうは見えないその辺に居そうな人が、その辺と同じ雰囲気でパークを散歩しています。

 

 

私も年パスを買うまではディズニーはアトラクション専門でした。

気の合う仲間たちと比較的大勢で朝からわいわいとアトラクションにならび、一日遊び倒す。そんなまわり方が普通でした。

非日常に飛び込むのが楽しみで、何度も行っているはずなのに心なしかみんなそわそわしていました。ディズニーは特別な場所でした。

 

ディズニーが特別な場所であるのは今でも変わりません。他の場所とは違った、たくさんの思い出がそこに残っています。

しかし年パスを買ってからは非日常ではなくなりました。

気軽に行けるようになり、次第に非日常で特別な場所は日常で特別な場所に変わっていきました。

 

日常になると、ディズニーの中での行動も変わってきます。

アトラクションに一目散に進んでいた時には気付かなかった細かな点にも気付けるようになります。

装飾や季節の草木、人々の往来など今まで見えなかった部分がたくさん見えるようになってきます。

 

ディズニーの作りこみのこだわりはとてつもないです。

たとえ時間がどれだけあっても全容を把握することはできないでしょう。

 

一人ディズニーではこれらの秘密を少しずつ気づいていくことができます。

車も自転車も入ってこない美しい道でBGMに耳を傾けながらする散歩は格別です。

 

ディズニーシーではお酒も楽しむことができます。

季節のカクテルやビールなどが中心ですが、コロンビア号内のバーや要塞の中のラウンジでは本格的なカクテルやワインを飲むことができます。

 

綺麗な景色を眺めながら散歩し、疲れたらおいしいお酒とゆったりした雰囲気で一休みする。そんな贅沢なディズニーの使い方もたまにはいいのではないでようか。

【本の紹介】植木理恵『シロクマのことだけは考えるな!』

オススメ度:☆☆☆

 

近年の心理学ブームのはしりになった『シロクマのことだけは考えるな!』。

氾濫する初心者向け心理学書よりは、科学的な説明がなされている。

心理学に興味を持つには丁度いい本だが、多少なりともかじったことがある人には物足りないボリュームになっている。

 

実用的な心理学が並ぶ中でいくつか興味を引かれたものがあるので、紹介する。 

 

忘れようとすればするほど忘れられない

 

人は誰しもつらい思いをどこかに抱えているが、もしそれを忘れようとしているのであれば逆効果である。

人間は、忘れようとすればするほど忘れられないようにできている。

 

この本のタイトルである「シロクマのことだけは考えるな!」はまさにこの事実を検証した実験からとったものである。

その実験とは、グループを3つに分けそれぞれに、「シロクマのことを覚えておけ」「覚えていても忘れてもどちらでもよい」「シロクマのことだけは考えるな!」と伝えて一年後どれだけ覚えていられたかを検証した。

その結果、「シロクマのことだけは考えるな!」と支持されたグループが一番克明に記憶をしていた。

 

この実験から分かる通り、人間は無理に忘れようとすればするほど記憶に刷り込まれ、忘れられなくなってしまう。

 

むしろ忘れたい場合にはその事実に飽きるまで向き合うのが効果的だという。

 

また同様に従来悲しいときには楽しい音楽を聴くことでメンタルが回復すると考えられていた(気分一致効果)。

実際はこれは逆効果であり、気分がマイナスの状況においては悲しい音楽やテレビを見たほうが回復への近道であるそうだ。

 

 

感情の言語化は真の感情を隠してしまう

心理学では、自分のレベルの浅い感情を言語化することは真の感情に気づく妨げになると考えられている。

 

自分が何かを見てステキ、かっこいいと思ってメモに書きとめたとしてもそれは浅いレベルの感情に過ぎず、実際にはもっと深い感情が自分の中に存在している可能性がある。

 

あえて感情を書きとめないことで自身のより深い感情に気づけるかもしれない。

筆者は、メモを取る際には客観的な事実だけを書きとめておくことをおすすめしている。

 

 

ムチは逆効果

人を指導する上でアメとムチを使い分けることは常識だと考えられているが、実際には

それらは間違いかもしれない。

 

ムチを使って指導することは逆効果になってしまうことが懸念されている。

ムチは何かを刷り込ませるために、また罰として使われることが多い。しかしムチによって刷り込まれるのは恐怖であり、何かの習得には向いていないかもしれない。

ラットを使った練習では、ムチとして電流をつかったグループのラットは学習レベルが下がってしまった。

 

またアメの方にも使い方にコツがある。

実験では毎回アメを与えてしまうと意欲が下がってしまうことが報告されている。

あえてたまにアメを抜くと効果が上がるとされ、その頻度はおよそ5回に1回抜くのが良いとされる。

 

会議では敵のとなりに座った方がいい

会議の席 スティンザー効果

対面 → 意見に反論しやすい → 味方は対面

横並び → 同調しやすい →  敵は隣

 

人は自分のことを言い当てられたい

自分のアイデンティティを確立させたい

→人は自分のことを言い当てられたい。

二面性提示  +  断定 が効果的

 

シロクマのことだけは考えるな!―人生が急にオモシロくなる心理術 (新潮文庫)

シロクマのことだけは考えるな!―人生が急にオモシロくなる心理術 (新潮文庫)

 

 

行きたくないバイトは辞めちまえ

なぜだか今日はやる気が起きない、バイトに行きたくないという日が誰しもある。

 

天気のせいかもしれないし、寝不足が原因かもしれない。バイト前の予定が楽しすぎて中断したくないという日もある。

とにかく今日は行きたくないという日を経験したことのない人は少ないだろう。

 

たまに行きたくないのであれば仕方がない。

どんなに楽しいことでもそう頻繁にあれば気分の乗らない日もある。焼肉も寿司も食べたくない日があるのと同じである。

 

このようなことがそう多くないのなら我慢するのも難くない。焼肉の気分でなくても、1日2日無理して食べるくらいなら耐えられるだろう。

 

 

ただ、いつも行きたくないのであれば話は別である。

毎日バイトの前になると、行きたくない、体調が悪いと言い出す人がいる。思い返せばバイトに限らず、学生時代の部活においても同じような状況な人がいた。

 

なぜ彼らは辞めないのであろうか。

バイトを辞められない理由を集めていけばお金がないというのが一位になるだろう。

うだうだと文句を垂れながらバイトしている人も結局の所お金が欲しいから辞められないのだ。生きていくには金がある、やりたいことをするには金がある。だから仕方がないと彼らは言うだろう。

 

断じてそんなことはあるまい。

自分のいやなことに時間を費やしてまで釣り合うバイトなどどれほどあるだろうか。

この売り手市場で、これだけ生き方が多様化して、仕事の種類も無限に広がる中でなぜいやなことを選択するのだろうか。

どんな人にも向いている仕事と向いていない仕事がある。

それにもかかわらず向いていない仕事に貴重な時間を捨ててしまっている人が多すぎる。悲しすぎる。

 

比較的変更の容易なバイトでさえ自分の生き方を選べないのであれば、働き方改革など絵に描いた餅にすらならない。

 

いやな労働に従事し続ける彼にとって、お金とはいやなことをした対価でしかない。そう思いこまなければ自分のストレスを逃がしてあげることができない。

リスク回避的な行動がむしろリスクを固定化してしまっている。

 

ストレス見えないリスクだ。

いやなバイトを続ける以上、そのストレスを延々と受け続けなくてはならない。

 

行きたいと思えないバイトなどやめてしまうべきだ。あなたに向いている仕事は必ず生き方は必ず存在する。働かない選択肢だってある。

 

今のバイトが今自分が切り売りしている時間に見合っているのか真剣に考えるべきだ。

辞めることは何一つ悪くない。

自分の人生を豊かにするために何を選択し、何を選択しないのかよく考えなくてはならない。