本と絵画とリベラルアーツ

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【宅浪】宅浪の孤独と不安とリアル《レンタル自習室春夏編》

私は現役での受験で単願特攻に失敗した後、宅浪として2年間を過ごしました。

1年目はレンタル自習室を借り、2浪目は完全に自宅で浪人をしました。

 

2年とも毎日受験勉強をして過ごす毎日には変わりありませんでしたが、それぞれ場所や浪人の年数による心の内部に違いがありました。

今回はそのうち前半にあたる1年目の春夏に思っていたことを書いてみました。

 

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余裕の春

受験に失敗した直後の3月下旬、ある程度予想をしていた私は周囲が予備校を探す中レンタル自習室を探していました。

予備校に通わなかったのは自分の力で受験をやりとげたかったからで、レンタル自習室を利用したのはさすがに家に一年引きこもることに不安を感じたからです。

 

レンタル自習室は自宅の最寄駅から3駅ほどの離れた、高校時代に行き慣れた場所に決めました。

雑居ビルに入っている20席ほどの小さな自習室で、普段は自分の他に医学部受験生や司法試験の勉強をしている学生など5人ほどがいました。

レンタル代は冷暖房完備24時間使い放題で、1ヶ月1万円ほどでした。

 

簡単な見学と説明を済ませ、私は4月よりこの自習室に毎日おにぎりをもって通うようになりました。

 

初めのうちは勉強にも集中して取り組むことができました。

まだまだ現役生との成績のアドバンテージがある余裕のある状況の中で、新しい環境と綺麗な机にテンションがあがり、なにより外の風景を眺めながら優雅に勉強する自分ステキ状態になっていました。

ほかの社会人や医学部受験生と一緒に勉強することも、自惚れる一因になりました。

 

心の中がどういう状況かは置いといて、とりあえず勉強には集中できる良い日々でした。

 

そんな日々も2ヶ月も続くとマンネリが訪れます。今まで目新しかった散歩ルートも見飽き、近所の本屋で立ち読みしたい本も徐々に減ってきました。

その中で勉強に対するモチベーションも一気に下がります。

梅雨に入り、朝強い雨が降っている日には出かけるのが億劫になりました。

低気圧で頭の冴えない日々が続き、浪人させてくれている親に申し訳ないという気持ちだけでなんとか自習室には行っていました。

 

そして到頭、自習室についても柔らかい椅子に浅くかけ、テキストを無造作に机に散らかすと、あとはただただスマホをいじるか、外を眺めるだけの日々が続くようになりました。

 

浪人させてくれた上レンタル自習室まで借りてくれた親に対する申し訳なさこそあれど、勉強してないことに対する不安はほとんどありませんでした。

去年一年勉強して現役生とは差があるという思い込みが、現実から目をそらせ不安を覆い隠していました。

 

それでもなんとかドロップアウトしなかったのは、同じく宅浪している仲間がいたからでした。

定期的に集まっては何時間でも散歩して進捗や勉強法、愚痴や不安を垂れ流しあっていました。

宅浪生の気持ちは宅浪生しか分かりません。同じ思いやストレスを抱えた仲間でありライバルがいたことは、大変支えになっていました。

 

堕落の夏

気持ちの上向かないまま、蒸し暑い夏に入りました。

この頃は日中の日差しを避けるため朝早く自習室に行き、昼間はクーラーの効いた部屋で過ごし日が陰ってから家に帰るリズムになっていたため真夏の気持ち悪さとは無縁の生活でした。

 

夏に入ると現役生が急激に伸びてくるため、模試でも成績が上がりにくくなるのを感じるようになってきました。

 

成績だけを頼りに保っていたメンタルも、成績が崩れると同じように不安定になっていきます。

猛暑の中、日々のストレス解消になっていた散歩にも腰が上がらなくなり、クーラーを浴び続けた身体は体力も落ち、一日中机に突っ伏すような日も増えてしまいました。

様変わりしない毎日はまるで時間が進んでいないような錯覚に陥り、このまま一生変わらず浪人が続くのではないかという気さえ起きてきます。

このような環境の中で私の成長は静かに止まっていきました。

 

私が一浪していた夏、世間ではあるアプリが一斉を風靡します。

 

ポケモンGOです。

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すっかり自習室に閉じこもり気味になっていた私も、気分転換にすぐにダウンロードしました。

これ以来、自習室にいる時間と外に出て出歩いてる時間とが逆転し始めます。

 

私は来る日も来る日も隣の駅、時にはもう一つ先の駅までポケモンを探しに歩き、電池が切れては自習室に戻り充電するというポケモンGO漬けの生活を送りました。

完全なる現実逃避と幼児退行です。

 

8月にはポケモンGOのために横浜のみなとみらいまで行き、大量のピカチュウを見てきました。

レアなポケモンに喜び、大量のピカチュウを人と人の間から一生懸命覗く姿は少年そのものでした。ストレスで爆発こそしなかったけれどそれらは全て、防衛機制のうち幼児退行によって免れているにすぎませんでした。

 

一方でこのような自分を客観的に見ている自分もいて、悲しい気持ちになりました。自分のニートの適性が感じられ、内心詰んだかなとも思っていました。

 

浪人生であることの最低限として模試などを受けつつ、そんなこんなしている内にいつのまにか風は乾いて涼しい季節がやってきました。

《レンタル自習室秋冬編》に続く…

 

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2019年6月の読書結果

今年の梅雨は例年にも増して過ごしにくい季節でした。

降るんだか降らないんだかよく分からない天気模様に、突然暑くなる異常気象。ただでさえ憂鬱な日々に低気圧が重くのしかかります。

 

春の気持ちいい青空の下では木陰で読書するのも楽しみの一つですが、この雨の中では静かな景色を眺めながら読書することもままなりません。

 

それでも移動時間や寝る前などの時間を使いつつ、何冊か本を読んだので簡単な評価とともに紹介したいと思います。

一部ネタバレを含む場合があるのでご了承ください。もしかしたら今後以下の本についてもう少し詳しい記事を書くかもしれません。

 

オススメ度とは、私が独断と偏見で付けたもので、星の数1~5個(たまに6個)で評価してあります。本探しの参考にしてみてください。

 

「変身」 カフカ/高橋義考 

オススメ度:☆☆☆

実家暮らしの何の変哲もない男が、ある日目が覚めると体が虫になっていた。

そんな奇妙な展開で始まる作品だが、読み進めるにつれて不気味さが増していく。後半にかけて何か特別なことが起こるわけでは無い。あまりにも現実離れしている設定と、あまりにも現実的な展開がおぞましさを醸し出す。

普段小説を読まない人でも入り込める作品だと思います。

 

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

 

 

「テーブルマナー・ブック」 辻ホテルスクール

オススメ度:☆☆☆☆

フランス料理のマナーが気になって買った本。オードブルからメインまで、さまざまな料理の食べ方と作法が写真付きで解説されている。

肝心なフランス料理を食べに行く機会が無いのが残念。

 

「あのころ」 さくらももこ

オススメ度:☆☆☆☆☆☆

ちびまる子ちゃんの作者としてしられるさくらももこの、小学校時代を綴ったエッセイ。

5段階評価といいつつ☆6をつけてしまったほど面白かった。最近読んだ文章のなかで一番おもしろい。とにかく面白い。絶対この筆者の他の本も読むと決めた。

 

あのころ (集英社文庫)

あのころ (集英社文庫)

 

「カンブリア宮殿 村上龍×経済人」 村上龍 

オススメ度:☆☆☆☆

日本の社長や技術者を村上龍がインタビューする番組「カンブリア宮殿」。

そのインタビューと社長の経歴をコンパクトにまとめてあるのがこの本の特徴。業種や年齢もさまざまで、トヨタ自動車の会長から始まり、ミクシィ社長やジャパネットたかたの高田社長を経て京セラの稲盛和夫まで総勢22人が登場している。

いろんな社長の考え方の一端を一度にのぞける面白い本。

「就活のバカヤロー」 石渡嶺司・大沢仁 

オススメ度:☆☆☆

就活は茶番だ。多くの人が感じていながら中々変化のない就活業界のリアルを書いた新書。学生・企業・就活情報サイトの光と影にスポットを当てながら、就活の問題点を指摘している。

 

「車輪の下」 ヘルマン・ヘッセ/井上正蔵訳

オススメ度:☆☆☆☆☆

中学か高校の国語の便覧でみかけた作品。

主人公はある村でくらす父子家庭のハンス少年。彼はすこぶる頭がよく、周囲の期待につぶされそうになりながらも見事難関の神学校の試験に合格する。多感な時期に勉強漬けにされた少年は厳しい神学校で変わった友人たちと接しながら苦悩する。

自分の意志とはなんなのか、正しいとはどういうことか、ハンスの運命を眺めながら考えさせられる良作。是非とも受験生にも読んでもらいたい。

 

車輪の下 (集英社文庫)

車輪の下 (集英社文庫)

 

「教養としてのワイン」 渡辺順子

オススメ度:☆☆☆

ワインの幅広い知識を取り込むことのできる本。ただ、ある程度ワインの名前やヨーロッパの地名の知識がないと知らない横文字まみれで、読み終わった後ほとんど覚えてない状態になってしまう。

ワイン中級者が読む分には+αの情報が得られていいかもしれない。

例によって知識が増えても肝心のいいワインを飲む機会が無くて残念。

 

世界のビジネスエリートが身につける 教養としてのワイン

世界のビジネスエリートが身につける 教養としてのワイン

 

「経済は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ/泉典子訳

オススメ度:☆☆☆

何年か前から流行り始め、現在では経済学の一人気分野にもなっている行動経済学の超入門書的一冊。損失回避性や価値関数などの専門用語には易しい注釈がついており、全くの初学者でも楽しむことができる。

しかしこれを読んで行動経済学を専攻しようとすると痛い目に合うので、もし本当に行動経済学に興味がわいたならばもうワンランク上の本を読んでみることをお勧めします。

「アダルトサイトの経済学」

オススメ度:☆☆☆☆

2012年に発行されたアダルトサイトで収益化をはかる方法をまとめたハウツー本。そのころはまだ本気でネットでビジネスを行っている人ため、ブルーオーシャンであった。

現在ではもうここに載っている手法は使えないが、個人が稼ぐにおいて目をつけるべきポイントは今でも有効だと思われる。

 

 

 

新品のiPhoneを紛失したが戻ってきた話

先日、ウッカリしていたのか寝ぼけていたのか、電車から降りるときにスマホを置いたままにしてしまいました。

 

降りた瞬間、アレなんか忘れた気がすると思い

なんだろうなあと考えるとドアが閉まり始め

あ、iPhoneが無え!と思った時には無慈悲にも電車は発射してしまいました。

 

その時は次の予定も迫っていたのでしっかりとした後処理もしなかったのですが、一日またいで次の日真剣に探してなんとか戻ってきました。

 

基本的には楽観的な性格で焦ることもそんなに無いのですが、今回ばかりはふと昔財布を紛失した記憶がフラッシュバックして冷や汗をかきました。そして二度と無くさないと誓いました(2回目)。

 

同じような経験をした人のために、紛失から発見までの経緯をまとめてみました。

 

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ポイント

1.すぐ駅員に伝える

2.iPhoneを探すをonにしておく

3.自分のキャリアに相談する

4.預かっていそうな駅には直接行く

 

1.すぐ駅員に伝える

当たり前ですが、忘れたと気づいたらなるべく早く駅員に伝えましょう。

紛失したことを伝えると、鉄道会社の方で見つかった時に連絡してくれるよう手配してくれます。また連絡先の書いてある小さな紙がもらえます。

できる限り詳細を伝えることで見つかりやすくなります。

私の場合は残念ながらここからの連絡はありませんでした。

 

2.iPhoneを探すをonにしておく

これが今回一番反省した点です。

忘れたと気づいた直後友人と一緒におり、たまたまその友人がiPhoneユーザーだったのでiPhoneを探すを使ってくれると言ってくれました。しかし私がiPhoneを探すをoffにしていたがために反応がなく、追跡を行うことができませんでした。

紛失した後はどこに有るのかが分からないのが一番不安なので、必ずiPhoneを探すはonにしておきましょう。

Wi-Fiもonにしておくと、より特定しやすくなるようです。

 

3.自分のキャリアに相談する

iPhoneを探すを使えない場合はキャリアに相談しましょう。

自分の使っている通信会社に行くと大まかなスマホの位置特定してくれたり、通信をストップさせたりしてくれます。

もし画面にロックをかけていないなど、セキュリティに不安がある場合には通信をストップしてもらうのがいいでしょう。ただ、通信をストップした場合にはスマホが見つかった時に再び通信できるよう申請する必要があります。

 

4.預かっていそうな駅には直接行く

めちゃくちゃ大事です。私は今回直接いったおかげで無事スマホが手元に戻ってきました。

キャリアでスマホの大体の場所を確認してもらった後、その近くにある駅にスマホがあるか鉄道会社の落し物係を通じて確認してもらいました。

しかし、残念ながら該当する落し物は無いということで、このあたりで見つかるかなとたかをくくっていたので、肩を落としました。

それでも諦めきれなかったので、キャリアによる位置情報を信じて直接その駅を訪ねることにしました。

 

電車に揺られること1時間半、位置情報に一致する駅にたどり着きました。落し物センターを訪ねると受付時間外ということで、さらにそこから40分ほど待ち受付することができました。

 

一度問い合わせてもらったので迷惑かなと思いつつも、恐る恐るスマホの特徴を伝えました。

すると、なんと私のiPhoneがあるではありませんか!!落としてからの暗い気持ちが一気に晴れました。

そこから身分証明証を提示し、受け渡し書類を書いてiPhoneが手元に帰ってきました。身分証明証は必ず必要になりますので、受け取りに行く時は用意を忘れないようにしましょう。

 

このように電話で問い合わせても無事届いている可能性があります。伝えた特徴が正しく伝わっていない場合もあります。大切なものを落とした場合には、是非とも駅まで足を運んで確認してもらうことが大切だと思います。

 

 

 

どうすればできるか

テスト期間に入ると、いつもは閑散としているか、疲れた人のオアシスと化している自習室スペースも賑わいを見せてきます。

 

普段は教科書を全部家に置いてきてるような人たちも、この期間だけは眉にしわを寄せ、真剣そうな顔をして机にへばりついています。

似合わない姿を見るとついつい笑ってしまいそうになりますが、人のことを言える立場でもないので黙っておきます。

 

さて私は塾でもバイトをしているのですが、やはりテスト前になると多少は生徒のモチベーションが変わってきます。普段は宿題を全くやってこないような生徒でも、焦りの色が出てくるようになります。

 

日頃のどんなに勉強に興味のない生徒でも、数字で成績が出ることには敏感なようです。

(もっとも成績至上主義の悪弊かもしれませんが)

テストの話になると生徒はバツの悪そうな顔になります。

 

土壇場で焦りがピークに達してくると、多くの生徒が口にするセリフがあります。

 

「どうやったらできるようになるの??」

 

小中学生に多い質問ですが、あまり勉強に熱心に取り組んだことないような場合、高校生から聞かれることもあります。

この質問をする生徒の頭の中は、自分が何が分からないから分からないというパニック状態で、この質問はなんでもいいからこの気持ち悪さを取り除いてくれというSOSです。

 

生徒としては魔法のような大逆転ウルトラCを期待しているのでしょうが、そんなうまい話はありません。

そもそも有効なコツやテクニックは普段から伝授していますので、直前まで出し惜しみするようなことは基本ありません。

 

私の中で、この問いに対する答えは決まっています。

 

「出来るようになるまでやれば、できるよ」

 

結局、勉強はこれが真理です。出来ない理由の99%は勉強不足、演習不足です。分かってから演習を積むのでは無いのです。分からないから演習を積むのです。

演習を積むことのメリットは、何がわからないか分かるようなることと、分からないを量で克服できることです。

 

もっとも、教える側としては生徒に完全に投げるわけにはいけないので、日頃より逐一エラーを確認していくことが大切になります。

そしてなぜ間違えてのか、なぜ分からなかったのかを一緒に考えていくことで、「分からない」を「分かる」にする思考を追体験してもらうことになります。

 

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質的転換という言葉があります。

 

これは量と質どちらが大事か、という議論の一つの答えであり、圧倒的な量は質に変わるということを示しています。

 

 

私が受験の時に苦労した科目があります。

どの教科でも気が滅入ることはしょっちゅうありましたが、特に苦しめられたのが古文でした。

高校の時授業を真面目聞かず、結局本番までまともに取り組まなかったので試験では散々でした。

 

古文とちゃんと向き合ったのは浪人してからでした。この時、自分のあまりの分からなさと、分からないことに取り組む辛さに涙が出そうでした。

 

机をひっくり返して外に飛び出したい気持ちを抑えながら(時に飛び出しながら)、なんとか精読の一周目を終えました。

 

そして終わった後、またこれを繰り返すのか、マスターするのにどれだけ時間かかるのか、とかなり気分が沈みました。

 

文句ばっかり言っても仕方ないので、また二周目に入りました。

やはり辛い。分からないものを進めるのは泥をかき分けて進むようで、不快感に加え憎悪さえ感じます。

 

しかし二周目を終えてみて、あることに気がつきました。手応え的にはほぼ変わっていないのですが、かかった時間がやや減少してるのです。

 

三周目。今度は気分的にも進めるのが楽になり、時間もかなり減りました。この傾向は四.五周目と続けるにつれて効果を増していきました。

まるで泥だった視界が次第に澄み、穏やかな川に変わっていくようです。

 

この間何か質や効率を上げるために何かを工夫したりはしていません。ただ愚直にテキストを進めただけです。

 

答えを覚えてしまったから早く終わったのでしょうか。

そうではありません。

 

こなしてきた量が質に転換されたのです。

やればやるほど、人間の行動は最適化されていきます。ひたすらテキストと向き合うことで、無意識のうちにノウハウがたまり、結果として質を押し上げていきました。

 

結局、もっとも効率的な道は量を取っていくことなのです。

これを避けようとしている限り、できるようになるのはどんどん遠のくばかりです。

 

『ボクの音楽武者修行(小澤征爾)』は最高の若者を教えてくれる 

今日は目が覚めると、すでに正午を回ってしまっていた。いっそのこともう一眠りしようかと思ったが、せっかくの休日を丸一日怠惰に過ごすのもったいないので、映画を見ることにした。

前回2まで見ていたミッションインポッシブルの3を見た。下馬評通り今作はイーサンの独壇場だけでなくチームでの活躍が多くて面白かった。イーサンが感情的になる場面が多かったのも新鮮でよかった。

映画を見た後パイソンの勉強と読書で迷って、読書を選んだ。読みかけの「人間の建設」と「反哲学入門」は今読む気がしなかったので、新しく「ボクの音楽武者修行」を読むことにした。

この本を最初に知ったのは高校時代で、図書館に置いてあった新潮社の「高校生に読ませたい50冊」に入っていた。この冊子に載っている本はどれもこれも当たりで、ここに載っている本を読んだのは高校時代のいい思い出である。

 

「ボクの音楽武者修行」は小澤征爾が20代の時に書いた自伝的エッセイである。24歳で単身ヨーロッパに渡り、26歳でニューヨーク・フィルハーモニーの副指揮者として日本に帰ってくるまでが描かれている。

小澤は歯科医の父・開作の三男として中国で生まれた。成城学園中学から高校へ進んだが、桐朋学園高校音楽科に入り直し、その後短大に進んだ。

卒業後、外国の音楽をやるからにはその本場の土地が見たいと思い、ヨーロッパに行くことを決心した。

決して裕福ではなかった小澤はカンパでお金を集め、富士重工からスクーターを借りた。貨物船に乗せてもらう機会を得て約2カ月かけてヨーロッパに渡った。

 

ヨーロッパに渡って間もなく小澤はフランスのブザンソンで行われている指揮者の国際コンクールに出場した。世界トップレベルの大会であったが、小澤は見事合格し一躍その名を世界にヨーロッパ中に轟かせることとなった。

それからというもの、ベルリンに通い、アメリカのミュンシュやベルリンのカラヤンの指導を受けるなど、異文化に衝撃を受けながらも順風満帆は日々を送った。

そしてついに、あこがれのバーンスタインのもとでニューヨーク・フィルハーモニーの副指揮者として働けることになった。神戸港を立ってから2年、小澤が26歳のときのことであった。

 

伝記の中でも、とくに若い時期について書かれているものからはいつも勇気をもらえる。あふれんばかりの体力と好奇心でどこまでも道なき道を進んでいく。可能性と自信を信じてどこまでもいく。怖いものが何もないようにさえ感じられる。

 

それに比べて自分はどうだろうか。若いだろうか。若者として生きられているだろうか。つまらない守りに入っていないだろうか。何かを怖れていないだろうか。家の中にこもり本を読んで得意げになっている老害になってしまっているのではないだろうか。

 

この本を読んでいると、高校時代を読んだ沢木耕太郎の「深夜特急」を読んだときと同じ思いに駆られる。つまらない家の中から飛び出し、外の世界を見たくなる。日本から出て、世界を見たくなる。ここにいては見ることの出来ない景色、人、食べ物、酒、空気、多くのものに触れて、感じて、感動したい。そんな思いに強くかられる。

 

読みながら三つの点についてメモを取った。

・小澤がブザンソン(フランス)のコンクールで優勝した後のコメント

 「外国では、いかに芸術というものを大切に取り扱っているかという証左であろう」

 「日本のような小国は今後音楽や芸術で学国に対抗しなければならないはずなのに・・・」

・飯をたいて、梅干し、海苔、コブ、ウニなどをおかずにして食うありがたさは、日本にいては絶対にわからないだろう。

・外国に一度でも行った人なら誰でも感じることだと思うが、よその国で同じ日本人から受ける親切ほどありがたいものはない。

 

「ウィーン・モダン」展に行ってきました【感想や混雑状況】

6月のとある月曜日、国立新美術館で開催中(2019.4.24~8.5)の「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への旅」に行ってきました。当初はクリムト展の方に行く予定でしたが、当日出発前に確認するとなんと休館日...!!

急遽ウィーン・モダン展に切り替えて行ってきました。

 

事前にチケットは購入していなかったので、ウィーン・モダン展のチケットは国立新美術館で買いました。チケットを販売している箇所は乃木坂駅直通のところと、反対の六本木駅側の二か所あります。

私は13時前後に行きましたが、そのときはどちらのブースも空いていました。何回か国立新美術館でチケットを買いましたが、平日で混んでいることは今までなかったので、前売りチケットを買っていなくても心配しなくて大丈夫だと思います。

 

会場に入ったらぜひとも会場リストと鉛筆をもらいましょう。(鉛筆は貸し出し用のもの以外は使用できないことが多いので注意!)最初は元気で好奇心がマックスなので説明をじっくり読んで早く鑑賞に入りたいところですが、まずは会場リストを眺めて展覧会全体の雰囲気をつかんでいきましょう。この時自分の好きな画家や作品がある場合はチェックをつけておきましょう。見逃すのを防げます。

美術館のオススメのまわり方については以下の記事にまとめてあります。是非参考にしてみてください。

 

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ウィーン・モダン展で驚いたことは展示されている作品の数が多いということです。通常の特別展ですと100点前後の作品が展示されていることが多いのですが、今回のこのウィーン・モダン展ではなんと約400点が展示されています!食器など小物の数が多いことをありますが、それを差し引いてもかなりの数です。

あまり下調べをせずに行ったので、当日会場リストを確認してあまりの作品の多さにびっくりしました。それと同時に集中して全部は見きれないことを悟ったので、自分の関心のあるところに絞って鑑賞しました。

 

まず入って目を引いたのがマリアテレジアの肖像画です。豪華なだけではなく、気品と力強さがあふれています。構図としてはやや頭から下半身にかけて膨らんだ形をしていて、どこから見てもやや見下ろされているように感じます。

 

見つけてびっくりしたのが作曲家・シューベルトの肖像画です。

見た瞬間、「音楽室で見たのと一緒だ!」と思わず笑ってしまいました。

さらに面白いのが横に展示してあるシューベルトのメガネです。本人は自分のメガネを大勢の人が見物するようになるなんて夢にも思っていなかったでしょうね。

 

たくさんの作品が並んでいますが、目玉はなんといっても分離派のクリムトやシーレです。また分離派のポスターもそれまでの西洋とは大きく違った路線になっていて見ていてとても面白いです。中には1920年代のアメリカを彷彿とさせる作品も数多くありました。分離派が当時時代の先端をいっていたことがよく分かります。

 

私がこの展覧会で一番目を引かれたのもやはりクリムトの作品でした。その中でも特に気に入ったのが「パラス・アテナ」と「旧ブルク劇場の観客席」です。

 

「旧ブルク劇場の観客席」はクリムトの有名な作品らとは異なり、とにかく上手いという印象の画です。緻密な描写はブリューゲルの「バベルの塔」を彷彿とさせます。全体的に静かな色使いでありながら全体としては暗くなりすぎず、当時のブルク劇場の重厚感をそのまま伝えてくれます。

 

「パラス・アテナ」のすごいところは一つの画でありながら画面が3つあるというところです。写真やポスターでは分かりにくいですが、実際に本物を前にしてみると画面が3つに分かれているということが分かります。すなわち、一つの視点でそのすべてをとらえることが出来ないのです。

一つ目の画面が首から上の顔と背景にあたる部分です。二つ目は首から下、メデューサの顔と金の衣装の部分です。この金の素晴らしいところは、金色で金を表現するのではなく、その反対にある黒で金を表現しているというところです。そして、三つ目が右手(とその上)です。これらはぼかしによって遠近感を持たせたりすることで3つを同時に見ることが出来なくなっています。見ようとしても見えない、不思議な感覚に陥ります。そしてその不思議な感覚がまたこの絵に魅力を感じさせる一因となっているのです。

 

今回は作品が多かったことで少し疲れてしまいましたが、平日に行ったことで館内も空いていて余計なストレスを感じずに回ることができました。ところどころの休憩スペースが大変ありがたかったです。

クリムトの「エミーリエ・フレーゲの肖像」は今展覧会の中で唯一写真撮影が許されています。みなさんこの絵の前で立ち止まって写真を撮っていました。その近くのスペースではこの絵の衣装を実際に再現したブースもあり、こちらも再現度が高く面白かったです。

 

 ウィーンモダン展のホームページはこちら
https://artexhibition.jp/wienmodern2019/
 

 

 

美術館を早足で逆走している人がいたら私です。

美術館の途中に設置されている椅子に座って他の来館者の様子を見ていると、同じ絵の前や空間でも人によって行動が様々で見ていてなかなか面白いです。

うんちくを語りながらゆっくり歩く老夫婦や、寝付いたばかりの赤子を起こさぬように静かにベビーカーを押す母親など、それぞれが思い思いに鑑賞を楽しんでいるのが分かります。あらためて美術というのが万人に解放されたものであるということを感じます。

 

このように美術館のまわり方は三者三様であり、正しいまわり方というのはあるわけではありません。最低限のマナーさえ守れば、あとは自分の自由に行動することができます

 しかし、正しいまわり方は無くとも、美術館をまわる上で失敗というのはあります。それは楽しみにしていた作品を十分に楽しめなかったり、後で思い返したときに特に印象に残っているものがなかったりという場合です。せっかく美術館まで出かけて、何も残らないようではもったいなすぎますよね。

 

この様な失敗の最大の原因はペース配分にあります。

美術館は普通、一度入場してしまえば自分のタイミングで退場するまでは無理に追い出されるといったことはありませんので、時間的な制約は少ないように思えます。しかし実際は集中力や体力の限界からいつまでも鑑賞していられるわけでもありません。私の経験上、美術館で集中力を保ったまま鑑賞できるのは90分くらいが限度だと思っています。これを超え、120分近くなってくると絵を見ても感想がどんどん薄くなっていくように感じます。

一般的な美術展では100点前後の作品が展示されていることが多いです。これを前から順番に見ていこうとすればとても90分では収まりきりません。無理に90分で全部の作品を見ようものなら、一つあたりの鑑賞時間は1分以下になり、後で思い返したときに何も残っていない可能性が高いです。

 

では、最後まで集中力を切らさず、好きな絵をじっくりと鑑賞するためにはどんなまわり方をするのがベストでしょうか。

私のオススメは、先に最後まで早足で作品を眺めて気になった作品は作品一覧かなにかに印をつけておき、あとから戻って好みの作品を鑑賞するという方法です。展示によっては最後まで行くと時間がかかりすぎる場合もあるので、その場合はテーマごとに目当ての作品を見つけておくというのがいいと思います。

この方法のいいところは自分が本当に見たい作品の数をある程度把握してしまうことで、時間配分がしやすくなるということです。時間にゆとりをもって鑑賞することで、作品に集中することができ、より良い感想やアイデアが浮かんできやすくなります。また展覧会の全体のテーマを把握しやすくなるというメリットもあります。

この方法で心配されることとして、じっくり鑑賞する作品が減ることによって隠れた名画や作品に気づきにくくなるのではないかという点があります。確かに一枚一枚丁寧に見ていく中で発見される魅力もあるかもしれません。

しかし、本当に自分にとって魅力的な作品というのは向こうから語りかけてきて、一目で引き込まれるものです。多くの場合最初にあまりピンとこない作品というのは、そのあといくら鑑賞したところで印象に残る作品でないことが多いです。名画とは、多くの人々の心をとらえるものですが、それが必ずしもあなたの心にも当てはまるとは限りません。このようなことは往々にしてあるものです。

このまわり方は、あなたにとって印象深い作品を見つけることにも適した方法ではないでしょうか。

 

今回は効率よく、展覧会で素敵な作品に出合う美術館のまわり方を紹介しました。もし今まで展示の最後まで集中力が続かないという方がいらっしゃいましたら、ぜひこの方法を試してみてはいかがでしょうか。